9/14文フリ大阪 A-06
こんばんは、崩れる本棚です。
しばらく更新が滞っていてすいませんでした。
みんな11月の文フリに向けて作品に集中している証拠っていうことで、ご認識していただきたいです。
さて、タイトルの通り、ついに明日、大阪文フリのメルキド出版さんのブースに『崩れる本棚No.1』並びます!
そのラインナップをもう一度ご紹介します。
『元カレ』福田ミチロウ
僕に狂おしい感情を与え、君は、僕に何をしたかったのでしょうか。君が僕にしてくれたことは、それくらいのものです。あとは、何もありません。
『チェルビアット』Rain坊
大事なものが見えなくなったとき、男は少女と出会う
『バッカ』ウサギノヴィッチ
「歯医者さんごっこで医者と患者どっちがやりたいか?
そりゃ、医者に決まってるじゃん。
えっ? それでSかMがわかる?
バッカじゃないの?」
前回の東京の文フリで買えなかった人も、東京にいなくて買えなかった人も、ぜひぜひお手に取って立ち読みするだけでもいいのでお願いします。
明日は大阪の天気はたぶん大丈夫だと思います。予定がもしなかったら、大阪文フリに行ってみてはどうでしょうか笑
さて、崩れる本棚ですが、11/24の文フリに向けてブログでもなにかを企画しています。まだ、他のメンバーに了承はもらってないのでどうなるかわかりませんが、なにかをやりたいと思います。
福田ミチロウがニコ生に見参!
どうも、ブラック企業の味方ウサギノヴィッチです。
人の成果も自分のものにする。
先日、Rain坊主任がシルバーシートで席を譲っているのを、自分がしたことにして朝礼で言いました。
また、一番下っ端のPさんが毎日会社の植木に水をやっているのを、お客さんに「いいお花ですね」と言われて自分が毎日やっているんですよって言いました。
もちろん、二人には許可(脅迫)をもらっての話なので、全然、自分のことなんですよね。
そして、うちの会社の若手のエース福田ミチロウがニコニコ生放送に出ました(もちろん声だけです)。
ミチロウならとなりで寝てるよ? - 2014/08/05 21:59開始 - ニコニコ生放送
彼女の好きな作家の金原ひとみについて生主のまちゃひこさんと話してます。
彼女の金原ひとみへの愛に満ちたトークをぜひ楽しんでください。
そういえば、この前Tweetで文フリでワンオペ(一人で店番)あるんですか?って知り合い言われて、その可能性は否定できないと思いました。お店にもし自分やメンバーがいたら、優しく接してあげてください。そして、「ワンオペ、お疲れ様です」ってねぎらいの言葉をすると飛び跳ねて喜びます(たぶん)。
ではでは、次回の更新をお楽しみに。
第十九回文学フリーマーケットに申し込み完了しました
こんばんは、ブラック企業の味方ウサギノヴィッチです。
この前、新入社員のPさんが「原稿落としそうです」って弱音を吐くから言ってやりましたよ、「東京湾の花火大会の日にわざと沈めて、花火をお前の方に向けて発射させてやるから、原稿を書いてください」って。
僕も子供じゃないからそれくらいの男のしての、会社のトップとしての器量はありますよ。ただし、Pさんも「そんなお情けをいただけるなんて嬉しいです。ここで小指を詰めさせていただきます」というから、タバコ(Peace)を吸いながら笑いながら見てましたよ。
今度、以前に漫画でみたことある鉄骨渡りを企画しようと思っているんですよ。そのデモンストレーションにPさんとRain坊さんにやってもらおうかなと。まぁ、やってもらうためには、一旦うちの会社に原稿を書いてからやらせようとは思っているんですけどね。
ほら、そろそろ文フリが近づいているわけだし、少なくともこの二人はもう完成に近づいていると思うんだよね。やっぱ二人は違うと思うし、「デキル男」なんだからさ。やってほしいんだよねぇ。うちの会社は残業代込みのお給料払っているわけだから、やってほしいよね、給料に見合った以上の成果って言うのをさ。
まぁ、やってくれるでしょうね。
ハッハッハ。
次の更新までに、二人がどうなってるか楽しみだな。
崩れる本棚の~、崩れなぁ~い、はなしぃ~(サミュエル・ベケット篇)
というわけで、『崩れる本棚』社、「崩れない話」部門担当編集、Pさんです。今日も元気にカタカタしております。
引き続き、枯れ木も山の何とやらという喩えもありますゆえ、拙文をわずかながらも埋め草として活用しようではないかという所存にございます。
というか、冷静に見返してみると、前の記事は、なんか何でもいいから本の話をと言われたとはいえ、あまりにも『崩れる本棚』に関係がなく、また唐突な話であったなあと反省することしきりです。
あ、コンクリート詰めにされた件ですか。あれはあのあと、脇から下全てを三メートル立方のコンクリートで固められた末に東京湾にわりとぞんざいに投げ入れられたというところまでは大方ご想像の通りかと思いますが、それからバタフライで泳いで行って、Rain坊ブリッジを越え、太平洋を横断し、無事ハワイにて救出されました。そして再びウサギノヴィッチ社長(敏腕)に謁見を申し入れ、再雇用して下さるように焼き土下座を何度もしたところでようやく、
「許可する。今度、モンモランシーちゃん(ボクサー犬、社長に実際に逢って発音を聞くと「モモランシーちゃん」に近く聞こえるのだが、そこに iPhone をいくら近付けても、Siri が原語でそれを表示することはなく、「ベートーヴェンの交響曲第九番もおすすめですよ」という見当違いの返答が得られるばかりだ)を苦しめることがないように」
とのことで、再びこの場にお目見えすることが出来たという次第でございます。おかげで臑と肱と額にIII度の火傷を負い、真皮全層や皮下組織は焼け爛れ、どころか炭化壊死してすらいるのですが、これも男の勲章というものです。
(今回も、本題に入るのが遅くなりそうな気がする……!)
おとついに、また『崩れる本棚』メンバーが若干名集まる機会があり、次の原稿の進捗状況その他について話し合いました。飲みの席で、店は、まあありていに言えばモンテローザグループの、何ということもない店だったのですが、そこで社長(慧眼)が、
「チミィ、彼らの仕事を見ていたまえ。こういう場でも、人間を観察し勉強することが肝要だからな」
とおっしゃられたので、私は店員の観察を怠らなかった。
モンテローザ系のある会社では、いわゆる「ピンポン」、赤外線などで注文などを受ける装置があるが、それを完全に取っ払ったところがあるという。なまじい「ピンポン」に頼ることが、店員のお客様への注意をむしろ削いでしまい、「ピンポン」が鳴らなければお客様が氷などを零してしまっていてもテーブルを拭くことすらなくなってしまう、つまり人間性の堕落だ。
「チ~ミチミチミィ。目をかっ開いてよく見ているがいい。機械に使われる人間、それだけで良いのか。人間が主体的に人間と関わり合う。それが人間というものだ。このことだけを取ってみても、ただ単に社の飲み会だなんていう認識に堕している人間とそうでない人間、その差が成績に歴然と現れて来るのだ」
人間は主体的に、つまり意志を持って人間と関わり合う、それが常人の認識というか最終目標というか理想像としてあるのだが、それを全て擲ったのがベケットだ。ベケットの小説空間の中では人が正常に観念を持つことが許されない。今、あえて「小説空間」だのという言葉を使ったけれども、実はそんな澄明な表現が通用する場でもなく、いろんな観念が単に言葉として言葉の運動をそのままにしているだけの何というかもやもやした何かでしかない。
事の次第これはすべて引用文ピム以前ピムとともにピム以後の三部にわけて聞いたとおりにわたしは語る
(サミュエル・ベケット『事の次第』片山昇訳、白水社、7p.)
すげーいちいち解説的なことを言っていって本作を台なしにするのであれば、たとえばここは「すべて引用文」で「聞いたとおりにわたしは語る」のだから、書き手というか語り手というか、の、主体的な「発想」みたいのが全く封じられている。そして、繰り言のようにそのことは度々強調される。
それから肘つき身を起こすこれも引用わたしの姿が見えている袋のなかに今は袋の話をしている腕を袋につっこんでなかの罐詰《かんづめ》を数えてみる片手では不可能しかしなんとかやってみるいつかは可能になるだろう
(同、10p.)
腹|這《ば》いのわたしの姿が見える目を閉じる青い目じゃない後ろにある他の目をそして腹這いのわたしを見るわたしは口を開く舌が出る泥のなかに入る一分二分これで喉《のど》の渇きがとまるこれで死ぬ心配もなくなったこの途方もなく長い時間の間
(同、11p.)
ここに出てくる「わたし」は、半身不随かわからないが、右手右足しか動かすことが出来ない。腹這いで、そのうち力尽き、泥の中に崩れ、口を動かすことしか出来ない。
このように力ない「物語」が、一体私達に何を与えるというのか? 禅問答じゃないけど、きっと何も与えないことを与えてくれるだろう。君達は、一度として、情報が即「与えられる」性質のものであることが、おかしいと思ったことはないだろうか? なんというかな、難しいけれども、例えば「めざにゅ~」とか見てたとして、えんえん自分に対して最新のニュースとかの情報が与えられていく、はずなのに、どこかそれは停滞して見える、何というか、与えられるものであるけれども、その流れというか運動自体はどこかに固着しているかのようで、なんら新しい「感触」を憶えることがない。それはたぶん、一時、何かが滞留することによってのみ、変わることが出来るのではないか。
そしたら社長に「でもめざにゅ~って、こないだ終わったよね?」とつっこまれた。しまった! ニュース・情報番組、早起きさんの味方「めざにゅ~」は、2014年3月28日を持ちまして放送終了だった。
恥ずかしさをごまかすというわけでもないが、そのあとトイレに入ったら相田みつをの書のコピーが目の前にあった。
ひとの世の
しあわせは
人と人とが逢う
ことからはじまる
よき出逢いを
(みつを)
と書かれていた。こんな字と内容であるにもかかわらず相田みつをが何かしら不具を抱えていたという事実はないし、それはベケットも同断だ。(つづく)
崩れる本棚の~、崩れなぁ~い、はなしぃ~(ジェイン・エア篇)
こんにちは。こんばんは。ごちそうさま。ありがとう。ふだんの何気ないあいさつが、あなたという人間を創る。ゴタクの長い公共広告機構ことPさんです。次号より『崩れる本棚』書き手として参加させて頂きます。よろしくお願いします。
えーこないだ『崩れる本棚』系列会社のオフ会があり、そこで『崩れる本棚』主催兼ブラック企業社長(敏腕)のウサギさんに「このブログに何か書いてくれませんか?」「しかし君に残業代が出ることはない」「ついでに私のペットのモンモランシーちゃん(ボクサー犬)の大好物のマグロの頬肉(冷凍でないもの)を買ってきてくれ。生のやつを。2分で」みたいな話をされ、まあ何か書いてくれというについては諾と、残業代が出ないについてはまあ仕方がないかと、そしてマグロの頬肉については少し思案をする時間を下さいと、お返事したので何か書かねばなるまいということになりました。
それから社長(敏腕)と具体的に話を進めたところによると、ブログの内容については「別に何でも構わない、とりあえず本の話でもどうですか」と、それから交通費も出せないと、それから「マグロの頬肉(冷凍でない、かつ遺伝子組み換えでない、なぜならうちのモンモランシーちゃん(ボクサー犬)はそういうのビンカンだから)を買ってくるのに三分三十秒もかかるとは何事だ、一分三十秒間モンモランシーちゃん(ボクサー犬)を苦しめた罰を受ける覚悟は出来てるんだろうな」と言われたので、僕は、ブログの内容についてはふつうに本の話をしようかなと、交通費に関してはジェット機を飛ばして築地まで行ったのに出ないのはひどいなと、なんとか千万という数字が滲んだ請求書から仄見えるなと、そして罰として私の腰までを生コンクリートが浸していて今も水位(コンクリ位?)を上げ続けていることに関しては、まあ仕方がないかなと、思いまして。
ぜんぜん本題が来ないよ! 以降ふつうの書き方にします。
僕は女性作家にある系譜を見つつ読み進めていて、それは例えば〈朝吹真理子-ヴァージニア・ウルフ-シャーロット・ブロンテ〉というラインで、他にもいろんな分岐があるんだろうけれども、とりあえずはそう見ることにしていて、しかしそれだからといってシャーロット・ブロンテ自体にまだそんなに敬意があるわけではない、前二者は完全に信頼しているけれども。ヴァージニア・ウルフがシャーロット・ブロンテについては、
……私のスープがきた。大きな食堂で晩餐が行われていた。季節は春どころか、實は、十月の夕べであった。みんなが大きな食堂に集まつた。晩餐の用意がととのった。いま、スープがきたのだ。それは澄んだコンソメだった。
(ヴァージニア・ウルフ『私だけの部屋 女性と文学』西川正身・安藤一郎譯、新潮社、26p.)
と述べている。
いや、引用箇所を間違えた。
ヴァージニア・ウルフがシャーロット・ブロンテについては、
だが、いま一度讀み返して、彼女の文章に含まれる、この激越な調子、この憤懣に氣がつくと、彼女の天分は、全きかたちのままで表現されることは決してあるまい、ということが分かる。……
(同、101p.)
などと述べている。
今度は引用箇所を間違えなかった。
ヴァージニア・ウルフはその「激越な調子」を持たない、というかその他のいろんな意味において理想の作家としてはシェイクスピアを挙げている。シェイクスピアは未だに素性が詳らかでない。イギリス文学者が血道をあげてその研究にいそしんでいるにも関わらず素性が知れないということはその素性の知れなさこそがシェイクスピアが支えているある種のイギリスという国の国民性をさらに下支えしているのかもしれないが無駄口が過ぎた。別にシャーロット・ブロンテは女性作家という立場を切り拓いたパイオニアではあるけれども、その歴史的地点においてどうしても要らない感情を露わにし作品の一部を価値のないものとしてしまった作家でもあるというヴァージニア・ウルフはスタンスだ。ところでこの「激越な調子」というのは割と現代人には親しみのある感覚であるらしいと実際現代におわす僕が読んでみて思った。それは恨み辛みであり現存する主婦の大半が見ているであろう昼ドラの世界のそれである。
食堂は天井が高く、暗くて大きな部屋だった。細長い二つのテーブルでは、何か熱いものの入った鉢から湯気が出ていたが、愕然としたことにその匂いは、食欲をそそるには程遠いものだった。それを食事としてあてがわれるはずの生徒たちの鼻にその匂いが届くと、みんなの顔に不満の色が浮かぶのがわかった。
(シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア(上)』河島弘美訳、岩波文庫、85-86p.)
いや、引用箇所を間違えた、いや、間違ってるとも別に言えないけど別にここじゃなくていい。
「よくもそんなこと、ですって? だって、(中略)みんな、あなたを善い人だと思っているけど、本当は悪い人です。冷酷な人です。あなたこそ、嘘つきよ!
この言葉を言い終わらないうちに、かつて経験したこともない、自由と勝利の不思議な感覚でわたしの心はふくらみ、はずんだ。それはまるで、目に見えない枷《かせ》が吹き飛んで、思いがけない自由の世界に躍り出たかのようだった。無理もない気持ちだった。……
(同、68-69p.)
悪い姑に今まで留まっていた思いのたけを全部打ち明ける。その時にヨメさんが覚える「自由」の感覚とこれはたぶんほとんど同質のものだろう。だがそこには、積年夢見ていた本当の解放感とはどこか違う後ろめたさがなぜか伴っている。それは実は本当の「自由」ではなかったのだ。では、その本当の自由とは何か? ここでシャーロット・ブロンテが囚われてしまった何か、それに注目することのみが文学なのか? という危機をおそらくヴァージニア・ウルフは感じたのであろう。そこから出るこということはどういうことなのか?
今回はこの辺で。ああ、生コンが胸の高さまで来てしまった。これ、意外と生ぬるいのですね! そして、非常に動きづらい、腕を動かすこともままならない……
@第二回文学フリマ大阪
こんばんは、崩れる本棚です。
来る9月14日に堺市産業振興センター イベントホールで行われる第二回文学フリマ大阪に
崩れる本棚が……
崩れる本棚が……
崩れる本棚が……
参加しません!!
しかしです!
委託販売をすることになりました。
体は東京でも、本は大阪に行きます。
委託販売をしていただけるサークルは「メルキド出版」さんにお世話になります。
五月の文学フリマにてお世話になった松原のりじさんに、
直談判(ちょっと言い過ぎかもしれないけど笑)して、頭を下げてお願いをしました。
そしたら、心良く了承をいただいて間接的に参加することになりました。
『崩れる本棚No.1』を部数限定で販売します。
さらに!
『崩れる本棚No.2』の予告チラシを配布します。
そのチラシを持ってきていただいたら、十一月で販売する『崩れる本棚No.2』を格安で販売したいのですが、
気持ちだけで勘弁してください。
「チラシみたよ」って言っていただければ、みんな小躍りをします。
予告チラシについてはまだまだ煮詰めていかないと案件なんですが、
ここでお知らせすることで、自分にプレッシャーをかけたいと思います。
さてさて、次はどんな崩れる本棚がなにを繰り出すか、
ネタは少しずつですが仕込んでいます。
次の更新までお楽しみに。
ウサギノヴィッチ
崩れる本棚No.2始動!
こんばんは、崩れる本棚です。
今日から崩れる本棚No.2の本格的な活動が再開されました。
と言っても、読者のみなさんに崩れる本棚とはなんぞや?と思っている方が多数いるかと思うので、簡単に自己紹介を。
崩れる本棚は2013年の12月1日にネット同人サークルのtwitter文芸部、うさぎとRain坊、純文学系同人サイトの福田ミチロウの3人で発足した文芸ユニットです。
今年の5月5日の第18回文学フリーマッケットに参加しました。
わかりやすく言えば、文フリ参加している文芸サークルといった感じです。
サークル名である崩れる本棚の名前についても簡単に説明すると、サークル名を決めているときに、Fさんが本棚を崩したことがきっかけで、「いいじゃん」「いい名前じゃん」と深夜のテンションで名前が決まりました。
自己紹介みたいなのはこれくらいにして、次回(11月24日)の文フリに向けて崩れる本棚が始動しました。
次回からはtwitter文芸部からPさんとあんなが加わり、書き手が増えてパワーも倍増すると思われます。
崩れる本棚の作品が読んでみたいと思う方がいらっしゃったら嬉しいです。
ただいま、委託販売を架空ストアというところでしていまして、下記のURLから購入できます。数量限定です。これが売り切れたら、たぶん、入荷はありません。
少しでも気に入っていただけたら幸いです。
http://store.retro-biz.com/page_detail_3058.html#i9587
このブログではメンバーが好きなように記事を書いていくはずです。
メンバーのいろいろな面がみれたらいいなと思ってます。
これからの崩れる本棚に乞うご期待です!!
ウサギノヴィッチ