崩れる本棚’s blog

文芸ユニット崩れる本棚の公式ブログ

即興小説『信仰とサラリー』

先週五月四日第二十回文学フリマ東京で行われた高橋己詩と崩れる本棚のウサギノヴィッチ、Pさん、あんなのコラボ企画でした。

それの全文を掲載します。

以下、小説になります。

 

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   信仰とサラリー

   一、ウサギノヴィッチ

 朝起きたら、毒虫になっていることなんてなくて、普通に朝起きたらサラリーマンで、あぁ、いつもの朝がやってきた、しかも、月曜日だし、最低だなぁ、なんて思っていると、目覚まし時計が鳴って、あぁ、って叫びたくなってしまって、悔しいから布団を何回か叩いて、憂さを晴らす。いつもの朝、冷蔵庫にはたまごがあって、キャベツがあって、たまごがあって、レタスがある。これでなにか作りたいけど、ゆで卵とグリーンサラダなんて作りたいけど、無理無理、時間ないから、無理無理。無理ぃ、だって、時間がないから。トーストを作る時間がない。だから、食パンもなにもつけずに、そのままで食べて、玄関から急いで出るがバックする。今日の燃えるゴミの日だから、ゴミ袋を持って行かなくてはいけない。あぁ、ゴミ袋には大量のティッシュが丸まってるやつがあって、自分の情けなさを痛感させられる。はぁあ。ため息を二回ついて、ゴミ袋持って、玄関を出る。霧雨が降っていて最悪だ。天然パーマのせいで、クセがビヨンとなっていて、満員電車に写る自分の姿を見て、情けないなぁだなんて一ミリも考えていない。だって、かっこ悪いの知ってるし、本当は自分の姿なんて醜くて見たくない。それこそ、朝起きて毒虫になっていることより、自分がいつもと変わらない姿でいることのほうがよっぽど苦痛で、いつもの朝がいつもと変わらないでいることのほうがよっぽど面白みがなくて、自分の人生が最悪なのはわかっているけど、それを改めて認識させられるみたいで、本当に自分はダメな人間なのかもしれない。

 自分には好きな人がいて、その子は経理課でいつも出社する時間は一緒だけど、話しかける機会がなくて、影でこそこそ見ているだけという話。そんな僕にチャンスが訪れたのだった。

   二、Pさん

「私経理課系女子なんだけど、ちょっといいかな」

 その当人が向こうから話しかけてきたことによって、僕の霧雨によって強化された寝癖が反応して肩甲骨のあたりまで伸びた。仏のパンチパーマじみたところみたいに、私の髪の毛も普段は圧縮されているが実際の長さはそれほどになる。

「ぬぁす」と「どぇもす」の間くらいの発音で返事をするのが精一杯だった。周りにはレタスを自分の庭で育てている系女子、パスタは一本一本願いを込めながら啜ります系女子、その他魑魅魍女子が視線は微妙にこちらからズラしながら耳の集音機能を、ふわっふわのファーで彩った長ぁいマイクみたいに、こちらに集中して差し出していた。後々のために笑い話の一つのストックを、これから展開される場面から増やそうというつもりなのに相違ない。

「あなた、幸せになりたいと思ったことはない?」

「はぁ?」

「あなたの内面的な幸せを増幅し、他人にお裾分け出来るほど、自分を幸せであふれている存在にしたいと思ったことはないのかと、問うています」

 これは明らかにデートの誘いだった。具体的には、明後日の五月六日、としまえんかどこかのメリーゴーラウンドに並んで座り、馬の腹部に突き刺さった棒の動きにより上下上下、それは主観的運動で客観的には旋回しつつ円筒の側面に波線を描きながら上下上下、同じ時間を過ごし笑い合いたいという誘いに他ならなかった。

「そうするには、どうしたらよいのです」

「私たちの属している『柿原信幸を神妙に見つめる会』に、一緒に入会しましょう。そうしたら、あなたが日々飲んでいる『おーいお茶』が、同一値段で倍の量に増えることでしょう」

 

   三、あんな

「では、おーいお茶をたくさん飲めば幸せになれそうですね」

 柿原はすぐに僕のポケットの中を物色すると、小さな赤い包み紙のあめ玉が入っているのを見つけ、繊細な手つきでそれをつまみ出してゴミ箱の中に投げ入れた。

「こんなものでは幸せになれません」僕たちは座る度に大きな音のする分厚い椅子に腰掛けてから、契約を交わした。契約と言っても柿原がおーいお茶を渡してそれをごくりと何口か飲みこむだけだった。やがて彼女の名前が柿原の口から出ると、すぐに僕は意識が散漫になってただ相槌を打ちながら部屋に飾られている誰が描いたかわからない鉛筆画を見つめていた。彼女は隣の部屋から出てきてMacBookを取り出すとすぐにメリーゴーランドに搭乗する手続きを始めた。僕は乗り物にめっぽう弱く、すぐに胃の内容物を吐き出してしまうような気がしてそればかりが心配でそわそわしていた。一時間二十分前に食した大戸屋のかあさん煮定食が胃から腸へと移動していく音がした。デートとはそういうものなんだ、恐ろしい行為なんだと、そんな風に考えるようになった。しかし、馬に乗って笑ったりすることはそれはそれで美しいことのような気もして僕は彼女と共にオレンジ色の電車の最後尾車両に乗った。もう日が暮れ始めていて、電車の中では皆同じ格好をして同じような白い袋をぶら下げていた。遊園地はあと一時間くらいで閉園するらしく、そのことを伝えるアナウンスがひっきりなしに大きな音で園内に響いていた。僕たちは一目散にメリーゴーランドへ向かって走っていった。すると小さな女の子が僕を押しのけて軽快な足取りで一番高い馬に乗ると、「バーカ」と言った。

 

   四、高橋己詩

 僕はこれまでに経験したことのないほど悲しい、辛い、きつい。だからその女の子に向かって「バーカ」とか「死ね」とか「このハンペンちゃん」とか、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。そうしていると当該メリーゴーランドを担当されておられる係員の方々に咎められ、力お任せに羽交い締めにされ、最終的には搭乗する権利さえも剥奪された。多くの方は容易に想像できないはずだが、見知らぬ女の子を罵倒すると、割りかし白そうな目で見られることがあるのだ。

 ふっと、同行の彼女すら死んだ人間のような目をしていることに気がついた。僕が弁明する隙を与えることもなく、彼女は「すいません。すいません。大丈夫です」みたいな文言をもごもご口にしながら、そそくさと消えてしまった。中学生のときトイレでうんこをしていて、先生に電気を消されてしまったことを、僕はちゃんと思い出す。

 ありがたいことに、手元にあるお茶だけは増量していた。これを少し飲むということにより、かあさん煮定食が起因する吐き気を抑えることはできた。そこは救いだろう。

 そんなことがあったにも関わらず、翌朝を迎えても僕が毒虫になっていることはなく、普通のサラリーマンとして起床し、サラダを作る余裕もない時間を過ごす。経理課系女子に話しかける機会も、とんと少なくなった。

 結局あの『柿原信幸を神妙に見つめる会』とは何だったのだろう。入信したところでお茶の増量しか恩恵は受けられず、ただ信仰宗教じみた名前しか印象は残っていない。僕の生活は何も変わらず、かあさん煮定食の吐き気がよみがえる日すらある。

 すべて、信仰宗教が悪い。